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見えないピアノ 7 [見えないピアノ(自叙伝、のような)]

手の届かないところにあったはずの夢が、
先生との出会いで突然私の目の前に「現実」として舞い降りた。
それからは先生に会うたびに「また球場に連れて行って下さい。」と懇願し、
幾度となく同行しては見習いのようなことをさせてもらっていた。
そんなある日のこと。先生が「貴女、野球の仕事、本格的にやってみる?」と私に言った。
まさしく、夢が実現した瞬間だった。

先生と私たちスタッフが仕事をしていた平和台球場のオルガン室は
バックネットのほぼ真後ろの高い所、ラジオの放送ブースのすぐ横にあった。
オープン戦の時期は時として震えるほど寒く、
8月の炎天下においては気が遠くなるほど暑かったけれど、
そこで働く日々は言葉に表せないほどに楽しく充実していた。
時折ファールボールが飛び込んできたり、新人アナウンサーの方が懸命に
実況の練習をしているのが聞こえてきたり。
野球の醍醐味を自分の肌で直に感じる幸せは何物にも代え難かった。

時を経て平和台球場はホークスのフランチャイズとなり、
さらに数年後、その場所は福岡ドームへと移された。
忘れがたい思い出は数限りなくあるけれど、オープンを記念するイベントとして行われた
「パリーグトーナメント」はその中でも格別だった。
福岡ドームの開業からほとんど間がなく、スタッフも右往左往している中で
パリーグのチームが総当たりで試合を行い、三日間で決着をつけるという
およそ無謀なイベントで、一日あたりの試合数は三ゲーム。
バッターボックスに打者が向かう時に演奏する曲として
各選手の応援テーマを弾くことになっていたのだが、
ホークスの選手以外の資料はあるはずもなく、他の五球団との対戦を
録画、録音したものから聴き取って資料を作成し、先生と代わる代わる演奏に臨んだ。
頭の中の「見えないピアノ」が何よりも役に立ったのがこの時である。
あまりの忙しさに気が遠くなり「もしかして、私たちはここで死んでしまうのでは。」と
本気で考えるほどであったにも関わらず、思い出すと何故だか顔がほころぶのは、
やはり野球が好きで好きでたまらなかったからだろう。

ー続くー


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武田のおじさん

いや~。テンション上がりっぱなしで、顔は紅潮し、選手がバッター・ボックスに向かうたびに、緊張と喜びによる胸の高鳴りを覚えながらオルガンに向かい、鍵盤を叩く、そんな、秋桜さんの姿が思い浮かびます。(顔はわからないけど・・・きっと美人!!笑!?)
わたしも、規模は小さいけど、阪神パーク、花博、ホール、etc、で、人形劇をしたことがあり、やっぱり、なんとも言えない気持ちを体験したことがあります。

また、つづきを楽しみにしています。
by 武田のおじさん (2006-01-13 16:53) 

小説「僕が選んだ僕の人生」ただいま読了しました。
なんか、霊魂というか、エナジーと言うべきそんざいか、それとも地球のエネルギーのかけらか。
そいつが案外、げんきんな奴に書かれていて、とても楽しめました。
愛人なのかーとか、女の子かー、とか、そういうことでへこむ姿が、なんとも言えずユーモアたっぷりで。
それでいて、どんな人生でも、最高さ!みたいなメッセージも見えたような気もします。(僕の気のせいだったらごめんなさい)
by (2006-01-15 11:52) 

はなぽん

ぴょんまさん、読んで下さってありがとうございます。
高2になる息子が小さいときにぽつりと言った言葉が
この話のもとになっています。
息子は私たちを選んでくれたのだとすると、
しっかりと恥ずかしくない生き方をしなくては。
そう思いながら暮らしていますが・・・。
この頃では息子の方が大人っぽく、
しっかりしなくては、と思うことが増えました。
by はなぽん (2006-01-17 12:51) 

 こんにちは。貴重な体験をなさったのですね。あの音楽って、どこかが用意してくれるものではなかったんですね。続きを楽しみにしています。
by (2006-01-20 11:09) 

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