見えないピアノ 4 [見えないピアノ(自叙伝、のような)]
字面だけ見ると幸福とは言い難いようであるが、私たち三人は意外なほど元気で明るかった。
「私たち三人」というのは、母と弟と私のことだ。
会社の資産を持ち逃げされたショックで健康を害した父は、
数年の入院生活の後にこの世を去ってしまった。
それでも悲劇的な要素が少なかったのは、母が精神的にタフであったことと、
住み込みで働かせてくれた母の勤め先のおかげに他ならなかった。
六畳一間での親子三人の暮らしは、今思い出しても顔がほころぶほど楽しかった。
会社の寮の賄いをしていた母の手伝いをするために、
私や弟も食堂にちょくちょく顔を出していたが、社員の人たちはみな
自分の家族同然に私たちに優しくしてくれていた。
食堂に置かれた卓球台でいつも遊んでもらっていたおかげで、
他の運動は苦手だったが卓球だけは人に負けなかった。懐かしい思い出である。
負けず嫌いの母は、休みの日になると私たちにトランプで勝負を挑み、
まったく手加減しないでいつも勝ちにこだわった。今もその性分は変わらない。
高校に進んでからは、音楽室に自由に出入り出来るコーラス部に入り、
パート練習の合間を縫って好きな曲を弾いたりも出来たので、ずいぶんと幸せな毎日であった。
ー続くー
家庭も職場も、いい人に囲まれて育ったんですね。いいなぁ。人生において、周りの存在って大きいですよね。
by (2005-12-14 22:42)
秋見さん、こんばんは。
運が良かったんでしょうねぇ、きっと。
ほんとにいい人にたくさん出会いました。
お金がなかったのに、不思議と楽しかった。
時代のせいもあるかも知れないですねー。
by はなぽん (2005-12-14 23:33)
うちも途中から自営業だから、秋桜さんのお父様がショックで入院されてから、そのまま他界されたというのは胸が痛みました。お金がなくても幸せっていうのはいいですね、、、。私は(というか私の家は)お金があっても何故か幸せではないです。欲をかき過ぎている気がします。
by あや蔵 (2005-12-16 18:09)